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教化部長挨拶

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野の百合の生きる道

教化部長 木場一廣

六月十七日の谷口雅春大聖師三十五年祭の日、急設スタジオから谷口雅宣先生のお言葉を頂きました。先生は昨年三十四年祭のご挨拶が掲載されている昨年八月号の機関誌『生長の家』をテキストに、「野の百合の生きる道」の詩を紹介されました。この詩は『生命の實相』第二十巻『生命の讃歌』等に掲載されています。機関誌『生長の家』八月号の谷口雅宣先生の「野の百合」から「〝新しい文明〟を知る」の一部を引用します。

『みずからを謙るものは、
黙々として「道」にある。
野の百合は高座から「道」を説かない。
かれは唯「道」を生きている。
「道」は近きにある。
野の百合は与えられた谷間に安住して、
与えられた養いを吸いながら、
みずからに許されただけの美しい花を開いて、
枯れる時が来れば黙って枯れる。
かれは与えられた谷間から出ようとは思わないし、
与えられない養いを吸おうとも思わない、
与えられたままの色と形との花を開いて、
天命からハミ出そうとは考えない。
茲に「道」がある。
野の百合は「道」を生きている。
野の百合は人を救おうとは思わない。
かれは自分で「道」を生きるだけである。
「道」を問うものがあれば、
黙って自分の「生活」そのもので答える。
(『生命の讃歌』八六~八九頁)

この後にも詩はずっと続きますが、長くなるので省略いたします。雅春先生の生活信条はこのようなものだったと思われます。日常どんなものを使っていらっしゃったかは、温故資料館で見るとよく分かりますが、決して贅沢はされなかった。また、この詩にあるように、本当は目立ちたいと思われなかったけれども、しかし生長の家の創始者で初代総裁ですから、役柄上、人の前に出たらそれなりの格好をしなければいけないし、訪問客もありますから、それなりにきちんとした邸宅に住まなければいけない。外国へ行ったら、やはりそれなりの待遇を受けるわけで、贅沢だからと遠慮していてはダメである。ですからまぁ、図らずもそういう行為をすることになる。あるいは〝贅沢品〟にあたるものが家にあったとしても、それは人からもらったものだから粗末にできない・・・・そういう「謙虚で」「物を大切にする」生き方をされていたのであります。 雅春先生のご信条はこのようなものですから、私たちも、師を慕う弟子として、今日の生き方も同様にするのが良いと思うのです。』

この「野の百合の生きる道」は以前昭和四十年代に生教会の奈良県橿原での研修会の時に御陵に許可を取って百合の球根を奉献しました。その球根は東京の近くの山に登り掘り出したものでした。御陵の入口に埋めてからそこで「野の百合の生きる道」を朗読しました。
野の百合は与えられた場所で精一杯生きている。そのままの生き方を学びましょう。

行事のご参加、月刊誌のお申し込みはこちらまで TEL 03−5319−4051 10:00-17:00【木・祝日除く】

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